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ミュラー教皇を異端視することはできない

1月18日、CrisisMagazine.comの取材に応じたミュラー枢機卿は、教皇の無謬性、教皇権限の限界、異端教皇の可能性について語った。主な引用

- 教皇の無謬性は、教皇を罪や背教から救う特別な恩寵ではない。

- カトリック信者は、全体主義体制のように、盲目的な服従を強いられる教会上長の臣民ではない。

- 不従順な同僚を排除し、追放、財産の没収、見せしめ裁判で罰する絶対的な支配者は、教会のモデルではない。

- 教皇庁の歴史[特に近代]は、権力が法に勝利するという、いくつかのふさわしくない光景を提供している。

- 教皇は "分裂的に教会から分離する "ことができる。

- 教皇個人の背教、明白な異端、あるいは公然たる分裂は、[フランシスコが現れるまでは]むしろ理論的な問題である。

- 今日の技術的な意味での形式的な異端、すなわち教会によって教義的に定義された啓示された教義を直接否定することは、歴史的に振り返ってみても、異端的な教皇は(個人としても)一人もいない。

- もしある教皇が聖書やカトリックの教義にあからさまに、そして悪名高く反した場合、信徒はもはや彼に従う義務はなく、彼はいわば自らその職を失うことになる。しかし実際には、誰がどの教皇をペトロの正統な後継者と考えるかによって、教会は異なる服従に分かれることになる。

- コンスタンス公会議とバーゼル公会議(1431-1449年)は、公会議が教皇よりも優位に立つという誤った教えにもかかわらず、西方分裂[最大2人の反教皇]から抜け出す実際的な方法を見つけなければならなかった。

- 現職の教皇が正式に異端と宣言され、法的に退位させられるような正統的な手続きはありえない。最高権威を裁くことはできない。

- 教義と司牧の間に矛盾はありえない。

- ボーナス引用いわゆる "ニューハーフ "と一緒に写真を撮られるだけでは十分ではなく、[表面的な]身体の性転換を創造主の意志に反する重大な罪と呼ぶ勇気を持たなければならない」。

- 楽しい引用だ:「教会生活は小教区で行われる。

画像: © Mazur/catholicnews.org.uk, CC BY-NC-ND, AI翻訳